ドワノーおじさんについて。

 ドワノーおじさんは、1912年4月14日、タイタニックが海に沈み始めた、まさにその時にこの世に生まれました。
パリの郊外です。パリの印刷学校を卒業して、そして18歳の時から写真を始めました。
おじさんの最初の先生は『カメラについている説明書だった。』というのは有名な話です。20歳になったおじさんは
初めて自分のルポルタージュを新聞社に送ります。それが採用され、これがおじさんの写真家としてのスタートでした。

 22歳の時におじさんはルノー社の広告写真を撮る仕事を始めました。5年間、その仕事は続きましたが、
おじさんにとって、朝8時に出勤して17時まで拘束されるというのは拷問に近く、おじさんの遅刻癖が原因で
おじさんは解雇されてしまいました(苦笑)。27歳のことでした。
 おじさんはそれからというもの、パリの街を歩き、パリだけを生涯撮り続けたのです。
そんなおじさんもファッション雑誌の写真を撮ったことがあります。そのためにアメリカにも行きました。
でも、おじさんはもう二度とやらないと思ったそうです。そして本当に、ファッション雑誌のために撮った写真のネガは
10個も残っていないくらいなのでした。
 おじさんは被写体を『共犯者』と呼びます。一緒にすごいものを作っている『共犯者』だからです。
そんな彼の写真について、フランス人の友達は、『彼は演出がすごくうまいよね。』と言います。
でも、それはスタジオの中で行われているものではなく、パリの街中で行われていることなのです。
おじさんにとって、パリがおじさんの舞台であり、パリの中にあるもの全てが舞台装置であり、
全てのパリジャン・パリジェンヌが素晴らしい俳優だったわけです。

 おじさんは皮肉屋で、ユーモアがあります。
先日フランスの週刊誌増刊号として発売されたドワノーおじさん特集におじさんのインタビューが載っていました。
こんなです。

 あなたの意見では、写真家の役割とはなんですか?
−写真家とは、たぶん・・・。例えば、家族のバカンスを台無しにするタイプや、試験に失敗するようなタイプや
 無秩序にフルートを吹く奏者のようなタイプや、それから・・・。あるいは、天気がいい昼下がりにインタビューに
 答えているようなタイプや、そのことを驚くほど困っているような人間だ。
 写真家とは、一般の人とは違う他の視点を持っていて、それをこの世界で見出すために、この世界を解体しようと
 試みるような人間なのだ。

 すみません、訳、へたくそです(苦笑)。いつもこんな話し方をするおじさんです。
でも、こんなところ、おじさんらしいなあと思って読んでいる時に思わず笑ってしまいました。

 こんな話し方をしていても、おじさんの写真を見れば、どれだけ人を愛していて、どれだけパリを愛していたのか
一目瞭然です。
そんなおじさんがこの世を去ったのは、1994年4月1日のことでした。82歳。大好きなパリで。
そして、今年2004年。おじさんの10周年。街でおじさんのための本が売られている時、本当に嬉しかったです。
そんな時にフランスに居ることができて幸せ者だな、カツ。と思いました。
 
                                  
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